へスターベイトマンという女性

新入荷のお品の準備をしていますが、最近、銀職人のへスターベイトマンについて、なるほどと思ったことがあるので記しておきます。

また詳しくは改めて、ブログに書きたいと思いますが、少しだけ。
1708年、へスターは、ロンドンの貧しい家庭に生まれ、文字の読めないまま大人になりました。詳しくは分かりませんが、育った地域は職人の多く住む地域だったのでしょうか。文字は十分に読めなくても、計算は得意だったと言われています。
夫亡き後、ものすごい勢いで技術を身につけて、一気にトップ職人になったかのように思われてきましたが、近年の研究では、むしろセンスの良い優れた起業家だったという評価になりつつあります。

ヘスターは同じような身分の、銀職人、ジョンベイトマンと結婚します。
当時一般の女性は、職人にはなれず、父親や夫が後継者に指名した場合だけ、職人になることが許されました。

へスターの夫は、懐中時計のチェーンを作るのが専門で、ティータイムに使われるような華やかな銀器とは縁のない人でした。
1760年に夫が亡くなり、夫はへスターを後継者に指名します。息子が二人いたので、その息子たちが一人前になるまでを繋いで欲しいという気持ちもあったでしょう。すでに50代になっていたへスターは翌年の1761年に、HBのイニシャルで職人組合に登録します。しかし、実際に彼女のメーカーズマークHBを銀器で確認できるのは、1773,74年あたりです。

その10年余りの間に、彼女はすごい努力で、技術を身につけたのか?
そうではなく、勘の鋭い彼女は、産業革命の進む英国で育ちつつあったお金を持った中産階級(産業革命によって会社などを起こし裕福になった労働者)が何を求めているのか、冷静に見極める目を持っていました。そして、製造の一部に、機械化も取り入れていきます。

続きはまた改めて。


当ショップに過去に扱ったへスターベイトマンのティーポット。
意外に薄手で、ちょっとびっくりしました。画像がこれだけなのですが、内部の注ぎ口のデザインも、単なる丸をいつくか開けただけではなくて、優雅にデザインされていて素敵でした。