コロタイプ印刷って、どういうのだろうと調べてみました。
写真製版の一種なんですね。
原画を写真に撮って、そのネガフィルムを原版(ガラス板に焼き付ける)として使います。
ガラスを使うので、昔は、日本では玻璃版と呼んでいたそうです。
以下、少し長いですが、2004年5月12日の京都新聞の記事から
*コロタイプは、約150年前にフランスで生まれた印刷技術で、ガラス板を刷版に使用することから、かつては「玻璃版」と呼ばれていました。撮影・製版・印刷といずれも大変手間ひまのかかる技法であります。しかし、連続階調による滑らかで深みのある質感や印刷に和・洋紙を選ばない特性や耐久性の高い特殊なインキとの融合によってできる、印刷表現は他の版式では決して得ることの出来ないものであります。インキの退色性にすぐれて変色が無いことが特色であります。
コロタイプ印刷の最大の特長は、撮影したネガフィルムがそのまま印刷する原板になるという点です。写真の階調を忠実に再現できて、しかも独特の味わいを持っていること、撮影者の意向を最も正確に反映させることができる印刷技術であります。
大量には作れないオリジナルプリントの限界をカバーできる表現方法として、コロタイプ印刷が持つ特性は、その写真の撮影者の意向を的確に伝えています。
1855年(安政2年)、フランス人ポアテパンはゼラチン液に重クローム酸を混ぜ、ガラス板に塗布して感光版をつくり、ネガを焼き付けて印刷インキを付着させ、写真の印刷をつくることに成功したのが、コロタイプ印刷の初めであります。
ほとんど同時期に、チェコのフスニック教授もこの研究をおこない、その印刷物をドイツの写真雑誌に発表しました。その後、ドイツ人のアルバートも研究を進めながら、フスニック教授の工場を買収してその実用化をはかりました。また、1873年(明治6年)にコロタイプ印刷機(手刷機)を設計して大いに進歩発展に貢献しました。コロタイプの別名をアルバートタイプというのはこれによります。
日本のコロタイプは、明治16年(1883)内閣印刷局三枝守富氏などによって糸口が開かれ、次いでボストンで留学中の小川一真は、岡部長職氏の援助を受けてコロタイプの製版印刷を修得しました。帰国した一真は、京橋に小川製版所を設立しました。また、明治22年には星野錫がアメリカでアートタイプと呼ばれていたコロタイプの技術を習得して帰国し、深川で東京印刷会社の名でコロタイプ印刷を営業しました。こうして日本のコロタイプは始まりました。
この版式はゼラチン版であるので小部数で精巧な製品をつくるに適しています。優れた製品は写真印画に近く、これまで石版の描版しかなかった時代に出現した技術はまことに驚嘆すべきものでありました。また、書画の複製に他の製版法に比べるまでも無く良い製品をうることができました。これが小川一真の光筆画、大塚稔の工芸画となって広く流布して行きました。また、木版の掛け合せ刷りで応用木版として東洋絵画の複製にその威力を発揮しました。
印刷の初期には手刷りといって石版の手刷機が利用されていましたが、明治35年(1902)には、石版の平台動力機が輸入され、これをコロタイプ印刷機に改造しました。そしてこの機械によって、書籍の口絵、絵はがき、写真帳の印刷に利用され、手刷機は図録、色紙、日本画の複製などが印刷されました。
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コロタイプ印刷は、モノトーンしか印刷できないのが難点でしたが、最近は多色刷りが可能になり、現在も複製絵画等に使われています。
このイラストは、手彩色しています。1900年代初め。