絵はがき画家、クラップサドル Clapsaddleの生涯

アンティークポストカードの画家で、とても人気の高いクラップサドルと言う人がいます。

そのカードを見れば、ああ、このイラストを描いた人ね、と思い当たる方もいらっしゃると思います。

英語のサイトに、彼女の画家としての生涯が載っていますが、大体の内容を載せておきます。
英語を読むこなしていくのは、めんどうですよね。

目次

アンティークポストカードの人気画家 クラップサドル

本の挿絵を描いていない絵はがき画家の場合、なかなか名前も残らず、経歴が不明なことが多いのですが、クラップサドルは多くの絵はがき版元と契約を結び、大変な人気を得ていた画家ですので、かなり情報が残っています。

クラップサドルが画家として独り立ちするまで

Ellen H.Clapsaddle エレン.H.クラップサドルは1863年1月8日に、ニューヨーク州のサウスコロンビアという小さな街で生まれました。早くから絵の才能を発揮していた彼女は、ニューヨークの美術学校を卒業するとまもなく故郷にもどって画塾を開きます。

すぐに画家活動を始めなかったのはなぜなのか。シャイな性格だったからなのか、訓練不足と思っていたのか、当時はそれが普通だったのか、よくわかりませんが、画家としてのスタートは父親が亡くなった1891年からです。

クラップサドル、活動の最盛期

すぐにその才能は認められ、以後14年間が活動の最盛期となります。
まずイギリスのRaphael Tuckのために絵はがき用の絵を提供し、つづいてWolf社,International Art社と活動の幅を広げていきます。

初期の頃のチャーミングなポストカード。

左はドイツ、右はフランスで使用されています。発行元はどちらも不明。

1900年代初めの数年間は印刷所のあるドイツに滞在して、絵はがきのための絵を描き続けました。

母親が1905年に亡くなったのを機にアメリカにもどりますが、数年後、今度はWolf社の要請をうけて再びドイツに渡りました。

戦争に巻き込まれて

1914年、第一次世界大戦が勃発します。クラップサドルが住んでいたベルリンは、爆撃を受け、Wolf社の印刷所は、完全に破壊されました。クラップサドルの原画もすべて灰となります。
(当時、絵はがきの印刷所はほとんどがドイツにあったため、この戦争で各メーカーは絵はがきを作ることができなくなりました。)

しかも1917年まで、アメリカ人は入国できず、Wolf社はクラップサドルとも連絡がとれなくなってしまいます。
送金は途絶え、食料も乏しい外国でたったひとりどうしていたのでしょうか。

クラップサドル、画家生命の終わり

1917年にWolf社の経営者の一人がドイツに渡りました。
半年後、ようやくベルリンの通りをふらふらとさまよい歩いていたクラップサドルを見つけ出します。
55歳でしたが、回復不能なほど心と体にひどいダメージを受け、事実上これで画家生命は終わったのでした。

アメリカで、Wolf兄弟の手厚い看護を受けますが、もはや画家としての活動はできませんでした。
やがてそのWolf兄弟も亡くなります。生涯独身で、兄弟もいなかったクラップサドルは再び困窮し、1932年ニューヨークの施設に収容され2年後になくなりました。


どちらも1910年代で、Wolfのもの。
左は、Printed in Germanyと記してあって、石版印刷ですが、右側はオフセット印刷でどこで印刷したとは書かれていません。
おそらく、左は第一次大戦前、右は大戦後アメリカで印刷したものだと思います。

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名前の残っていない絵はがき画家がたくさんいる

画家でアートディレクターでもあった堀内誠一さんが 110人のイラストレーター(福音館)を出した時、何かの対談で、
「絵はがきの画家にもすごい人がいる。日本では全く知られていないけど。
‘110人のイラストレーター’は、絵本や挿絵本の紹介なので、今回はできなかったけど、いつか紹介したい」と語っていましたが、実現されることはありませんでした。

アンティークの絵はがきを集めた本は色々出ていますので、良いものを見つけたらまたご紹介します。