近くの美術館で,ミケランジェロ展が開かれていて、見に行ってきました。
….おすすめできるかなぁ、と思って行ったのですが、ちょっと入場料に見合ってないかな。
作品が少なすぎるし,小さい作品ばかり。
最後の審判や天地創造の絵を,銅版画(当時の職人が復刻したもの)にした物がありましたが、デッサンがへたすぎる..>_< 福井のあと、上野の西洋美術館で開催されるようですが、もっと作品点数は増えるのでしょうか。
連日遠くから、大型バスを連ねて見に来てるけれど、ややがっかりするかも..。

ミケランジェロの作品は移動できないものが多いので、なかなか持って来れません。
壁画や、お墓の装飾や、教会の祭壇飾りなど。

それでも、ミケランジェロやレオナルド、ラファエロなどルネサンスの絵画を見る度に感じるのは、
いかに激動の時代だったかということです。
ボッティチェリの「春」や「ヴィーナスの誕生」は、中世から大きく抜け出しているのですが、
それでも、まだ体半分は、中世のまま。
レオナルドダヴィンチになっても、まだ片足を中世に突っ込んだ状態に思えるのですが、
ミケランジェロには、全く中世の面影がなく、
近代へ大きく歩みを進めた時代に生きた人と言う気がします。

それからもうひとつ。
ケネス.クラークという高名な美術評論家が著書の中で、
ミケランジェロは、没落貴族の末裔だったと記しています。
一門を再興するために、絵画彫刻、建築の世界で名を上げる、という強い意志をもっていたと。

当時、壁画や祭壇画など、大掛かりな作品を職人に依頼する際に、
出自がどの程度、問題にされたのかはわかりませんが、
年齢や作風を別にしても、貴族という出自は、私生児であったレオナルドダヴィンチよりは
かなり有利に働いたような気がします。
ローマ教皇からのクレームを前に,一歩も引かなかったという、プライドの高さも、
貴族出身という点が多いに影響しているようです。

1500年代の初めに、フィレンツェに攻め込んだフランス軍は、
その素晴らしい芸術作品群に驚嘆し、自国をこのような輝かしい文化栄える国家にしたいと
強く望んだといいます。
そして、フランソワ一世は、レオナルドダヴィンチをフランスに連れ帰ってしまいます。
当代随一の老芸術家を見いだし、手厚く保護して、しかも作品の完成は一切求めなかった、というフランソワ一世もたいした人物だと思います。

このあたりから、文化芸術の中心が、確実にフランスへと移行して行きます。
戦争に明け暮れ、都市国家の集まりだったイタリアから、国家として大きくまとまりつつあったフランスへ。そして、やはりフランスの人たちには、たしかな見る目がありました。
メジチ家からお妃を迎え、イタリアの進んだ文化をすべて咀嚼し、より洗練された形に変えていける能力のある人たちでした。