イギリスの朝ごはん

モーニングティーイギリス

おそらく1800〜1820年代くらいのイギリスの女性。(銅版画か木口木版)
ジェーン.オースティンの小説に出て来る少女たちも、たぶんこんな感じ。

カップが小さすぎるような。。。紅茶ではなく、コーヒーかもしれませんが。
現在の、イングリッシュティーのスタイルができあがったのが、
ビクトリア時代中期(1850〜70)以降といわれているので、
この頃はまだ、いろいろあるかもしれません。

でも、縦長のポットと,トーストラックと,ゆで卵立てもちゃんとあって、
贅沢な,イングリッシュモーニングセットです。

1700年代後半あたりから、英国ではかなり紅茶が広まって、消費量が少しずつ伸び続けたのですが、
なぜか1800年代にはいったとたん、消費が伸び悩みます。
1840年頃まで、横ばいもしくは減る傾向があり、英国経済自体もあまり芳しくなかったようです。

上の画像は,その頃のものなのですが、紅茶よりもコーヒー??なんでしょうか。
でもこの頃は,ロココスタイルの豪華で素敵なのが作られていますよね。

当時は、まずフランス革命の影響があり、その後のナポレオン戦争があって、世の中は何かと騒がしく、
ゆっくりお茶を楽しむ気にはならなかった、とも考えられるのですが。
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実は当時、東インド会社で船に積まれたお茶の葉が英国に着くまでに、なんと最低でも半年かかっていました。
場合によっては一年から2年程もかかることがあり、そんな状態ではお茶の新鮮な風味は失われてしまいます。何かもう少し革新的な事がおきない限り、人々の興味はさらにお茶に向かっていかないでしょう。

1834年に,イギリス東インド会社の,中国との独占交易契約が終了します。
つまり他の国も,中国と交易できる事になった訳です。そして強力なライバルが登場します。アメリカの高速帆船オリエンタル号です。

たった3か月で,インドや中国で採れたお茶を英国に運ぶというのです。消費者は大喜びです。
たいへんな高額運賃を払って,紅茶を買い取ったイギリスは、負けじと高速帆船の製造を始めました。

その後、お茶を運ぶ帆船ティークリッパーは,次々と新型が生まれ、速さを競い合い、賭け事の対象にまでなっていきました。当然ながら、運ばれる茶葉の量も飛躍的に増え,結果としてお茶の価格が下がり始めます。そして、茶はより広く、所得の低い層にも手が届く事となり、急速に英国全体に紅茶の習慣が広まっていきました。