今回、薔薇の飾りがついたすてきなサルバをアップしていますが、
裏側には、画像のような文が刻まれています。
このようなお品を、プレゼンテーション(贈呈)サルヴァといいます。
たいてい、~~を記念してとか、◯◯◯の功績を讃えて、我々一同から贈ります..というようなことが書かれています。
日本でも、お盆を贈り物として使いますし、やはり◯◯の記念とか記してあったりするので、イギリスも同じような習慣があるのだなぁと思います。
目次
このサルバは園芸会社で功績のあった人に贈られた - 当時の流行は..
このサルヴァは、シェフィールドの植物栽培、園芸会社で長年功績のあった人に贈られたもののようです。
縁に、薔薇や葉っぱなどの飾りがついているのも、そういう理由から選ばれたデザインなのでしょう。
大きく、PLANTATIONSと書かれているのにとても興味を惹かれました。
プラントハンターの活躍
●17~19世紀頃、欧米ではプラントハンターと呼ばれる人たちが大活躍していました。
お茶の木、果物の木など、いわゆる有用植物(つまり栽培,加工、販売などで利益を生み、なおかつ人々の生活向上に貢献する植物や観賞用の物)を、各国が血眼になって探していたのでした。
もちろん利益のためだけでなく、このことが植物学の発展におおいに役立ったことも事実ですが。
異国で見つけた植物のあるものは、持ち帰って栽培され、
あるものは産地を植民地化して、奴隷を使って大農園で生産し、
またあるものは紅茶のように、加工して高値で売られる、というように、
産業の重要な担い手でもありました。
(紅茶は歴史を変えるくらい大成功しましたから、第二、第三の、文字通り金のなる木をさがしていたわけです)
黒船の来航が意味するもの - 政治とは全く別の理由がありました
あの黒船のペリーが日本に来たのも、東洋の閉ざされた国で、有用植物や観賞用植物をさがすため、
という一面があり、事実、植物学者を2人同行させています。
そういう時代ですから、当時の園芸会社というのは、社会的にたいへん重要な位置を占めていたでしょう。
このサルヴァが作られたのが1853年(プレゼンテーションは1856年に刻まれています。)、
ペリーの黒船が下田に来航したのは、翌年の1854年です。
財力のある王侯貴族や新興の中産階級などは、自宅に温室を建てて、
南方の珍しい植物や果物を栽培する事が流行していました。
椿の花も、、
オペラで有名な「椿姫」(初演は1853年)ですが、
やはり、椿という東洋の珍しい花が人気となって小説のタイトルとなったそうです。
あれは創作ですが、当時のパリ社交界に、「椿の君」と呼ばれた貴族が実際にいたそうですから、
それがヒントになったかもしれません。
若い頃、そういうプラントハンター関連の本をたくさん読んだ事があります。
この「椿の君」については、
19世紀半ば、いかに椿が高価な花であったか、その貴族が、
椿のために20年間でどれほど莫大な財産を使ったかなどの記録があり、
おもしろくて興味はつきませんでした。
本のタイトルは忘れてしまったのですが、
八坂書房などから、プラントハンター関連の書籍が出ていますので、
読んでみるとおもしろいかと思います。
プレゼンテーションから読み取れること
刻まれたプレゼンテーションから、様々な歴史的背景が読み取れ、
これこそがアンティークの楽しみでもありますね。
また、このサルヴァには、くっきりしたクレストとコートオブアームズが刻まれています。
このサルバの持ち主が、裏面に記された人物であるのかどうか、
確認できていませんが,手にされた方はぜひ調べてみてはいかがでしょうか。