へスターのことを調べ始めてから、一層色々知りたいことが出てきてしまって、今も細々と調べています。

へスターベイトマンがどんな環境で育ったのか、50代で夫を亡くした後、どのようにして職人として一人前になったのか、何もわかっていません。彼女自身が読み書きできなかったこともあるでしょう。

当時の慣習などから推測するしかないのですが、結婚はおそらく同じような貧しい身分の男性としたのでしょう。
へスターは50代の初めに夫を亡くしますが、時計のチェーンを作る職人だった夫が、なぜ妻を後継者にしたのか。すでに息子は成人しており(20代後半)、息子を後継にしても良かったはずです。

へスターを後継に指名していたということは、何か理由があったのだろうと思います。

また、翌年にへスターは自分の名前で、親方として登録します。
登録の際は、自身でサインをしなければいけません。ところが彼女はこのサインができませんでした。記録には、彼女のマークのところにバツ印がついています。どういうことかというと、自分でサインできなかった、つまり自身で書くことができなかったということを意味します。

このような状況を調べることで、当時の識字率を知ることができます。ロンドンでは、すでに女性でも識字率は7割程度にまで上がってきていました。しかし、単なるサインができるだけであって、それで読み書きできることにはなりません。サインさえできればということで、急遽、書き方を覚えた人もいたと推測されます。
以上のことから実際の識字率はもっと低かったろうと言われています。

当時の職人が読み書きできないというのはめずらしいことではなかったようです。おそらく息子の方は読み書きができたでしょう。
注文を受けて、その記録は、息子が担っていたと思われます。

へスターは、金細工職人、銀細工職人、と記されています。ああ、金や銀で細工ものを作る職人なのね、と通常は思いますね。でも当時の金細工職人というのは、作るだけではなく、単なる小売業も、原材料を提供する卸職人のような人も含まれていました。
一方で、銀細工職人、の場合は、実際に銀の細工ものを作る人を指していました。
つまり、金細工職人、という時は、幅広く貴金属業に携わる人たちを指していたわけです。

へスターの場合は、両方の職人となっていて、しかも頻繁に銀細工職人との記載があることから、売るよりも、実際に作る方の職人だったことがわかります。

それにしても、50代で夫を亡くした時、彼女はまだこれといった技術を身につけていなかったはずです。女性が外で修行することはできませんでしたし、夫は、チェーン作り専門の職人でした。一方、その後へスターが作った銀製品は、ティーセットや日常使われるテーブルアイテム、ワインラベルやインク壺、調味料入れ、トレーなど多岐に渡ります。夫の作っていたものとは全く共通点がありません。にもかかわらず、彼女は作り上げている。いったいいつどうやって技術を身につけたのか。実際に、素晴らしい作品として出てくるのは彼女が60代になってからです。ほんの10年足らずの間に、職人として著しい成長を遂げたのでしょうか。

古い研究では、そのように思われていましたが、実際にそういう状況に疑問が出てきました。彼女の息子はすでに一人前となって彼女の元に戻って、家族全員で盛り立てていこうとしたのではないか。彼女の指示によって別の誰かが作っていたのではないかという説です。

もちろん、彼女の作品を見るとわかりますが、シンプルでエレガント、はっとするような気品もありますから、これはやはり彼女のセンスによる部分が大きいと思います。なので、最近では、へスターベイトマンは職人としてよりもむしろ、先を見通す優れた目を持った起業家だったのではないかと言われるようになったのです。